2016年04月13日

名前が付いているだけあって

   
家に近くに「蝉坂」という名前の坂がある。なかなか勾配がきつく長い、立派な坂だ。 由来を記す北区教育委員会の案内文も立っていて、そこには鎌倉時代と江戸時代の逸話が書かれている。 

坂を登る時、右手に石垣がそびえ、その上に神社が建てられている。

ところで僕は勝手にこの坂のことを「ミミズ坂」と呼んでいる。 夏に雨が降ると、神社の石垣の隙間から何千何万というミミズが坂道に這い出てくるからだ。 

「何千何万」というのは決して誇張ではなくて、雨の日にそこを歩く人は、みんな自分の足元を見て歩いている。 注意しないとミミズを踏み潰さないこと無しには歩けないのだ。

恐ろしいことに、僕は病院のバイトの帰り道いつもこの坂を通るのだが、その坂を通るときはいつも夜だったので、雨の日にミミズが大量発生していることに気づくまで引っ越してから半年かかった。 きっとそれまでに何十匹ものミミズを踏み潰していたのだろう。 南無。
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2016年02月18日

ピックがいよいよ



開会式は、28日だが、
競技としては、25日の女子サッカーに始まり、
8月12日のマラソンで終わる格好となる。

マラソン競技の距離が、今使われているような
42,195キロとな澳門套票ったのは、
1908年に開催されたロンドンオリンピックからだという。

マラソン競技は、
古代ギリシャのマラトンの戦いで、
マラトンからアテネまで戦況を知らせるために
駆けていった故事にちなんで、同様な距離を目安として
第一回のアテネオリンピックから始まったもの。
その距離がおよそ、40キロ(26マイル)だったことから、
近代オリンピックもそ翻譯れに則り、
それぐらいの距離にしていたようだ。

1908年のロンドンも、
国王が住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場間、
道のり26マイルと決まっていた。
だけども、
時のイギリス王エドワード7世の王妃アレクサンドラが、
スタート地点を宮殿の庭とし、
ゴール地点は競技場のボックス席の前を希望したとされる。
それは、王妃にとって、
目の前でスタートを見ることができ、
また、ボックス席でゴールを見ることができることを意味する。

何と身勝手なと思うが、
それまで正式な距離がなかった以上、
イギリス国王や王妃の恣意や身勝手と言うべきものでもないようだ。

それに伴って、当初の26マイルから385ヤード長くなった。
その後、
何と、この距離がマラソン競技の正式な距離となった。

可哀想なのは、
その時、第一位で競技場に入ってきたイタリア人の
ドランド・ピエトリ選手。
競技場がゴールと思いその場で倒れ込んでしまったが、
ボックス席前がゴールに変更されたため、
抱きかかえられてゴールするが、そのために失格となってしまう。

マラソンは、よく人生に喩えられるが、
栄光を讃えられるも、
悲劇的な人物とBotox 肉毒桿菌注射なるも、
些細なことに起因することが多い。
さあ、今度のオリンピック、
どんなドラマが生まれるか。
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2016年01月28日

草色入簾青

 第一層(從開頭至“惟吾コ馨”)以類比的方式引出文章主旨。文章開篇即以“山不在高,有仙則名。水不在深,有龍則靈”的大氣之語開篇,既顯得出手不凡,也為以後的陋室歌功頌コ埋下了伏筆。山可以不在高低,水可以不在深淺,只要有了仙、龍就可以出名,那麼陋室因為有道コ品質高尚的人存在當然也能出名。“斯是陋室,惟吾コ馨”,由山、水、仙、龍入題,作者筆鋒一轉,直接切入了主題,看似有些突兀,但回頭一看,卻又渾然一體,因為上面的對比句恰好為這句的引論鋪下了基礎。山、水的平凡因仙、龍而生靈秀,那麼陋室當然也可借道コ品質高尚之士播灑芬芳。以類比的方式開頭,引出陋室的寓意,以“コ馨”統領全篇。以下文字皆由此生髮。

  第二層(“苔痕上階香g至無案牘之勞形”)描寫居室環境即日常生活。作者從周圍景色入手 ,“苔痕上階香B“描寫環境寧靜、雅致,令人賞心ス目。“淡笑有鴻儒,往來無白丁”是寫室主人交往之雅。來來往往的都是飽學之士,沒有平頭百姓。這些人可以高談闊論,縱情暢懷。

“可以調素琴,閱金經。無絲竹之亂耳,無案牘之勞形”閑下來在室中可以撫琴弄弦,展卷讀經修身養性。以上是作者從三方面對於一個道コ品質高尚之士的生活總結。他以“苔痕上階香h的淡雅之色,隱寓作者的恬淡之心,又馬上以“草色入簾青”的生機盎然點明恬淡中充滿生機的鮮活生活狀態。交朋識友,皆是同道高潔之士,撫琴研經,生活從容且又多姿。遠離嘈雜的音樂,遠離傷神的公務,這種濶ノ的生活實在讓人装轣B這種既像隱士,又存在塵世的生活方式,是道コ高尚之士装逑I,也是凡夫俗子們嚮往的。也讓我們看到了作者高潔傲岸的節操和安貧樂道的情趣。

  第三層:(南陽諸葛廬,西蜀子雲亭),運用類比,指出此室可以與古代名賢的居室比美。作者借南陽諸葛亮的草廬,西蜀揚雄的舊居來對比自己的陋室,有引諸葛亮與揚雄為自己同道的意思,也表明了作者以這二人為自己的楷模,說明自已也有他們一樣的コ操與才能。以陋室比古賢的居室,不僅說明了陋室不陋,又進一步表達了作者的高潔傲岸的志趣與抱負。從諸葛亮闍初逞エ草廬以待明主、揚雄淡薄於功名富貴,潛心修學來看,劉禹錫引用此二人之意,是否還有既不願與世俗同流合污,又想逢明主一展抱負,若無明主,也甘於平淡的那種志向呢?第四層(最後一句),總結全文,說明陋室不陋。“何陋之有?”一句,語出《論語・子罕》,原話是“君子居之,何陋之有?”作者截取後一句引為證據,作全文的總結,暗含著以“君子”自居的意思而又不陋痕於文字上,更進一步突出了他那高潔傲岸的志趣與抱負。“何陋之有”回應上文。

陋室不陋,關鍵在於“君子居之”,也即銘文一開頭所說“惟吾コ馨”。這個結語引經據典,顯得警策有力,把個“陋”字徹底翻過來了。銘文一般都押韻,並常用排比、對偶句。本文為駢體文,就用了名、靈、馨、青、丁、經、形、亭等字韻腳,使文章句式整齊,節奏分明,音韻諧美;而又變化有致,不拘一格,讀起來抑揚頓挫,毫無呆板之感。除末句外,全篇都是駢句,韻腳是 名、靈、馨、青、丁、經、形、亭等字。
posted by wenwenhg at 10:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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